「介護記録って、何を書けばいいのか分からない」
介護の仕事をしていると、そんな声を聞く
ことがあります。
私自身も、介護の仕事を始めた頃は、
「食事量を書いて、排泄を書いて、変わったことが
なければ“特変なし”でいいのかな」
そんなふうに考えていました。
もちろん、介護記録には利用者さんの状態を
正確に残し、職員同士で情報を共有するという
大切な役割があります。
でも、長く介護の仕事を続ける中で、私は記録には
それだけではない役割があることを知りました。
きっかけは、あるご家族の言葉でした。
毎月、介護記録を楽しみにしていたご家族
私が働いていた施設では、ご家族の希望に応じて
介護記録を開示することがありました。
ある利用者さんのご家族は、毎月その記録を見ることを
とても楽しみにされていました。
「今月はどんなふうに過ごしていたのかな」
「こんなことを話したんですね」
「楽しそうにしていたんですね」
記録を読みながら、嬉しそうに話されるご家族。
その姿を見たとき、私は初めて気づきました。
私たちにとっては、毎日の業務の中で
書いている一行でも、
ご家族にとっては、大切な人の「今日」を
知ることのできる一行なのだ。
ということに。
「特変なし」では伝わらない一日
例えば、
「昼食10割摂取。特変なし。」
これも必要な情報です。
でも、これだけでは、その方がどんな一日を
過ごしたのかまでは伝わりません。
もし、その日の食事中にこんな出来事が
あったとしたらどうでしょう。
「昼食の煮物を召し上がりながら『昔はよく家でも
作ったのよ』と笑顔で話される。全量召し上がった。」
同じ「昼食10割」でも、受け取る印象は
ずいぶん違います。
ご家族が読んだとき、
「お母さん、昔よく煮物を作ってくれたな」
そんな思い出までよみがえるかもしれません。
介護記録には、数値だけでは残せないものがあります。
表情。
言葉。
その日の小さな出来事。
その人らしさ。
私は、そういうものも残していきたいと
思うようになりました。
難しい専門用語を使わなくてもいい
介護記録を書くとき、
「専門的に書かなければ」
と思うこともあるかもしれません。
もちろん、職員間で正確に情報を共有するために
必要な専門用語もあります。
でも、難しい言葉をたくさん使うことが、
必ずしも良い記録だとは私は思いません。
誰が読んでも、そのときの様子が浮かぶ。
そんな記録も、とても大切だと思っています。
「笑顔あり」だけではなく、
「職員の顔を見ると笑顔になり、
『今日も来たのね』と話される」
と書けば、その場面が少し見えてきます。
事実を正確に書くことを基本にしながら、
その人の姿が伝わる一言を添える。
私は、それだけでも記録はずいぶん変わると
思っています。
介護記録は誰のために書くのだろう
介護記録は、もちろん職員のためでもあります。
次に勤務する職員が利用者さんの状態を知るため。
ケアを振り返るため。
事故や体調変化など、重要な事実を残すため。
多職種で情報を共有するため。
どれも欠かすことのできない役割です。
でも、その記録を読む人は職員だけとは限りません。
ご家族が読むこともあります。
そして、いつかその記録を読み返したとき、
そこに残された何気ない一言が、
大切な思い出になることもある。
私はそう思っています。
「書かなければならない記録」から「残したい記録」へ
忙しい介護現場で記録を書くことは、
決して楽ではありません。
業務が重なり、
「まだ記録が残っている……」
と思う日もあります。
私にもあります。
だからこそ、すべての記録を長い文章にする
必要はないと思っています。
ほんの一行でもいい。
「今日はこんなことで笑っていた」
「こんな言葉を話していた」
「いつもと少し違う表情をしていた」
その一行があるだけで、その人の一日が少し
見える記録になります。
記録を「書かなければならないもの」
だけで終わらせず、
「この人の今日を残しておきたい」
と思えるものにできたら。
介護記録に向き合う気持ちも、少し
変わるのではないでしょうか。
その一行が、誰かの宝物になる
介護の仕事を25年続けてきた今、
私が記録を書くときに大切にしたいと思っている
ことがあります。
それは、
記録の向こう側にいる人を想像すること。
一緒に働く職員かもしれません。
ご家族かもしれません。
そして、もしかすると未来の誰かかもしれません。
私たちが何気なく書いた一行から、
「こんなふうに過ごしていたんだ」
「こんなことを話していたんだ」
と、大切な人の姿を思い浮かべる人が
いるかもしれません。
だから私はこれからも、正確さを大切にしながら、
その人らしさが少しでも伝わる記録を書いて
いきたいと思っています。
その一行が、いつか誰かの
宝物になるかもしれないから。


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