はじめに|「カレーはよく作ったわよ」
あるご利用者が、
施設へ入所された日のことです。
ご家族と一緒に来られたその方は、
施設で昼食を召し上がりました。
その日の献立は、
カレーライスでした。
私は何気なく、
「お家でも、
カレーをよく作りましたか?」
と伺いました。
すると、その方は迷うことなく、
「そうね。
よく作ったわよ」
と答えてくださいました。
そのとき、ふと後ろを見ると、
ご家族が笑いながら、
全力で首を横に振っています。
お話を伺うと、その方は長年、
自営業で忙しく働いており、
家事はお祖母様に
任せていたそうです。
けれど、ご家族は、
「違うでしょう」
と否定することも、
正しい話に直すこともありませんでした。
「いつものことです」
と言うように、
穏やかに笑っていました。
私も、それ以上
事実を確かめようとはしませんでした。
その方が話してくださった、
「カレーはよく作った」
という言葉を、
そのまま受け止めました。
これは、嘘なのでしょうか。
私は、そうは思いませんでした。

「嘘をついている」とは感じなかった
私は、あのときの返答が
「取り繕い」だったのかどうかを、
断定することはできません。
本当に、カレーを作っていたと
思っていたのかもしれません。
家でカレーを食べた記憶と、
自分で作った記憶が
重なっていたのかもしれません。
あるいは、私の質問に合わせて、
自然に会話を続けようと
しただけなのかもしれません。
ただ、少なくとも私には、
誰かをだまそうとしているようには
見えませんでした。
ご家族も、ご本人の言葉を
訂正することなく、
いつものことを見守るように
笑っていました。
その場で大切だったのは、
本当にカレーを作っていたのかを
確かめることではありません。
ご本人が話してくださった言葉を、
まずは受け止めることだと
思ったからです。
私たちが知っている事実と、
ご本人が語ることが違っていても、
すべての会話に
正しい答えが必要なわけではありません。
「違いますよ」と正す前に、
なぜ、そのように答えたのだろう。
そう考えてみると、
見えてくるものがあります。
関連記事
ご本人が見ている世界を否定せず、
その言葉を受け止めた出来事については、
「娘ではない私が、娘になった日」でも
綴っています。
認知症の方に見られる「取り繕い」とは
認知症の方の中には、
分からないことを尋ねられたとき、
「分かりません」
とは答えず、
その場に合いそうな言葉で
会話をつなぐ方がいます。
たとえば、
今日の日付が分からないときに、
「仕事をしていた頃から、
日付なんて気にしていなかった」
と答えたり、
できなくなったことについて、
「今は必要がないから、
やっていないだけ」
と説明したりします。
このような反応は、
「取り繕い反応」と
呼ばれることがあります。
特にアルツハイマー型認知症で
見られることがある反応として、
研究されています。
ただし、一つの返答だけで
取り繕いだと判断したり、
認知症の種類を
決めたりすることはできません。
取り繕いは、
相手をだますための嘘とは限りません。
忘れたことを知られたくない。
できない自分を
見せたくない。
会話を途切れさせず、
その場をなんとか乗り切りたい。
そのような思いから、
自分を守るために出てくる言葉も
あるのではないでしょうか。
一方で、ご本人が意識して
話を作っているとは限りません。
記憶が曖昧な中で、
そのときに思い浮かんだことを
自然に話している場合もあります。
また、認知症の方が
誰でも取り繕うわけではありません。
「分からない」と
素直に言える方もいれば、
もっともらしい言葉を探しながら、
一生懸命に会話を
続けようとする方もいます。
そこには、その方の性格や生活歴、
周囲との関係や、その場の安心感も
関わっているように思います。
一生懸命、答えを探している表情
取り繕う方とお話をしていると、
その表情からも、
一生懸命さが伝わってきます。
問いかけられた言葉の意味を考え、
記憶の中から答えを探す。
視線をあちこちに動かしながら、
今の状況に合う言葉を
見つけようとしている。
そして、途切れそうになる会話を、
一言、一言つなぎながら
話してくださいます。

その姿を見ていると、
私はいつも思います。
「そんなに頑張らなくても
いいのになぁ」
分からなくてもいい。
思い出せなくてもいい。
答えが、私たちの知っている事実と
違っていてもいい。
ここでは無理をして、
できる自分を見せなくても
大丈夫なのだと伝えたくなります。
その方が必死に探しているのは、
正しい答えだけでは
ないのかもしれません。
自分らしさや誇り、
これまで築いてきた人との関係を、
その場で守ろうとしているように
感じることがあります。
私たちの質問が、取り繕わせていないか
私たちは会話のきっかけとして、
さまざまなことを尋ねます。
「今日は何日ですか?」
「昨日は、何を食べましたか?」
「昔は、どんな仕事を
していたのですか?」
私たちにとっては、
何気ない質問かもしれません。
けれど、認知症の方にとっては、
答えを探すこと自体が
大きな負担になる場合があります。
思い出せない。
けれど、
分からないとは言いにくい。
何か答えなければと、
一生懸命に言葉を探す。
その結果として出てきた言葉を、
私たちは「取り繕い」と
呼んでいるのかもしれません。
けれど、その方を
取り繕わなければならない状況へ
追い込んでいるのは、
もしかすると、
私たちの尋ね方かもしれません。
もちろん、質問すること自体が
悪いわけではありません。
体調や安全の確認、
支援に必要な情報を得るために、
尋ねなければならないことも
あります。
昔の仕事や暮らしについて話すことを、
楽しんでくださる方もいます。
大切なのは、
質問の内容だけではなく、
そのときのご本人の表情を
見ることだと思います。
答えにくそうにしていたら、
同じ質問を繰り返すのではなく、
尋ね方や話題を
変えてもよいのです。
何を尋ねるのか。
そして、
なぜそれを尋ねるのか。
私たち自身に問い直すことも、
必要なのだと思います。
取り繕わなくてもよい会話に変える
答えにくそうな表情に気づいたら、
私は会話を続けることに
こだわりません。
その方が無理をしなくてもよいように、
尋ね方や話題を
自然に変えています。
質問をやめる
答えが出てこないときに、
同じ質問を繰り返すと、
ご本人は、さらに一生懸命に
答えを探そうとします。
そんなときは、
いったん質問をやめます。
言葉がなくても、
穏やかに一緒に過ごすことはできます。
話題を変える
過去の出来事を思い出すことが
難しそうであれば、
今、目の前にあるものへ
話題を変えます。
「外が明るくなってきましたね」
「今日は暖かいですね」
その場で一緒に感じられることなら、
記憶の中から正しい答えを
探す必要はありません。
言葉を添える
話したいことは伝わっていても、
言葉だけが出てこないこともあります。
そんなときは、
ご本人の表情を見ながら、
「こういうことですか?」
と、こちらから
言葉を添えることもあります。
急いで答えを決めつけず、
違うようなら言い直せる余白を
残すことも大切です。
YES・NOで答えられる尋ね方に変える
「何を飲みたいですか?」
という質問が難しそうなら、
「お茶にしますか?」
と尋ねてみます。
考えなければならないことを減らすと、
ご本人も答えやすくなることがあります。
ただし、「はい」という返事だけで
決めつけることはしません。
飲み物を実際にお見せしながら、
表情やしぐさも確認し、
ご本人の意思を
丁寧に確かめます。
答えを試されない話題を選ぶ
天気や季節、
窓から見える景色など、
正解を求められない話題なら、
ご本人も言葉を選びやすくなります。
カレーを食べながらなら、
「お家でも作りましたか?」
と尋ねるのではなく、
「今日のカレー、
いい香りがしますね」
と声をかけることもできます。
会話の目的は、
記憶を試すことではありません。
ご本人が取り繕わなくても、
安心してそこにいられること。
そのために、私たちのほうから
会話の形を変えてもよいのだと
思います。

認知症の方の「帰りたい」という言葉への
向き合い方については、
こちらの記事でもお伝えしています。
まとめ|正しい答えより、安心できる会話を
「カレーは、
家でもよく作ったわよ」
その言葉が事実と違っていても、
あの昼食の場面では、
訂正する必要はありませんでした。
取り繕った言葉の中には、
忘れたことを隠したい気持ちや、
その場の会話を
なんとか続けようとする思いが
込められているのかもしれません。
正しい答えを求め続ければ、
ご本人は何度も記憶を探し、
一生懸命に言葉を
紡がなければならなくなります。
取り繕った言葉を
見破ることよりも、
その方が無理をしなくてもよい
会話へ変えていくこと。
「分からない」と言ってもいい。
答えが出なくてもいい。
黙っていても、
そばにいられる。
そんな関係があれば、
ご本人は自分を守るために、
必死に言葉を探さなくても
よいのかもしれません。
もちろん、体調や安全、
介護に必要な情報については、
事実を確認することも
大切です。
けれど、日常の何気ない会話では、
正しさよりも安心を
選べる場面があります。
取り繕わなくても大丈夫だと
思える関係をつくること。
それも、その方にとっての
「安心できる場所」につながる
介護なのだと思います。



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