介護の仕事をしていると、
「利用者さんのために」
「一緒に働く仲間のために」
そう思って、少し無理をしてしまうことは
ありませんか?
申し送りのために、
少し早く出勤する。
休憩時間に、
終わっていない記録を書く。
残った仕事があれば、
定時を過ぎても片づける。
一つひとつは、
「これくらいなら」
と思えることかもしれません。
そして、その行動の多くは、
責任感や優しさから
始まっているのだと思います。
でも、
その優しさが積み重なって、
いつの間にか
「やって当たり前」
になってしまったら、
どうでしょうか。
さらに、
定時で帰る人の方が
「冷たい」と思われてしまうような
空気まで生まれていたとしたら。
私は、ときどき考えます。
誰かのために働くことと、
自分を犠牲にすることは、
同じなのだろうか。
介護には、
人を思いやる気持ちが欠かせません。
だからこそ、
その優しさを
誰かの我慢の上に成り立たせないことも、
大切なのではないでしょうか。
今回は、
介護職の「優しさ」と「自己犠牲」
そして、
職員の善意に頼らなくても
良い介護を続けられる現場について、
考えてみたいと思います。
「利用者さんのため」が、いつの間にか当たり前になる
介護の現場では、
「利用者さんのために」
という言葉を、
よく使います。
少し早く来れば、
申し送りがスムーズにできる。
休憩時間に記録を書けば、
あとで仕事が残らない。
少しだけ残れば、
次の職員が楽になる。
一つひとつは、
誰かを思っての行動です。
私も、
そうした気持ちになることは
あります。
だからこそ、
それ自体が悪いことだとは
思いません。
でも、
その「少しだけ」が
毎日のように続くと、
いつの間にか、
「やってくれていること」から
「やって当たり前のこと」へ
変わってしまうことがあります。
本当は善意だったはずなのに、
いつの間にか
職場を支える前提になっている。
そして、
やらない人の方が
冷たく見えてしまう。
そんな空気が生まれてしまったら、
一度立ち止まって
考えてみてもいいのではないでしょうか。
「利用者さんのため」という気持ちが、
いつの間にか介護職の自己犠牲に
変わってはいないでしょうか。
たった15分でも、積み重なれば大きな時間になる
介護の現場では、
勤務時間より少し早く来ることが
当たり前になっている職場もあります。
たとえば、
申し送りのために
15分早く出勤する。
たった15分です。
でも、
4日続けば1時間になります。
それが毎月、
毎年と積み重なっていけば、
決して小さな時間ではありません。
しかも、
早く出勤する時間だけではなく、
休憩中に
終わっていない記録を書く。
本来、休憩時間は、
仕事から離れて
休むための時間です。
それでも、
記録が終わっていなければ
休憩中に進めてしまう。
定時を過ぎても、
残っている仕事を
片づけてから帰る。
そんな時間も、
少しずつ積み重なっていきます。
一つひとつは、
「これくらいなら」
と思ってしまうかもしれません。
でも、
その「これくらい」が
毎日のように続くと、
少しずつ
自分の時間を削っていくことになります。
介護の仕事には、
急な対応が必要になることもあります。
利用者さんの状態によっては、
予定通りに進まない日があることも
当然あります。
だからこそ、
予定外の対応と、
最初から職員の善意を前提にした働き方は、
分けて考える必要があるのでは
ないでしょうか。
申し送りや記録など、
業務として必要な仕事をしている時間は、
状況によっては
「労働時間」として
考える必要があります。
15分早く来る。
休憩中に仕事をする。
少し残ってから帰る。
その一つひとつが、
本当に一時的なものなのか。
それとも、
いつの間にか
「そうすることが普通」
になっているのか。
小さな時間だからこそ、
見過ごされやすい。
でも、
小さな時間が積み重なれば、
決して小さな負担ではありません。
その働き方が、
いつの間にか
「当たり前」になっていないか。
一度、立ち止まって
考えてみてもいいのではないでしょうか。
定時で帰る人が「冷たい人」になっていないか
介護の現場では、
仕事が終わっていても、
周りがまだ残っていると、
なんとなく帰りづらい空気を
感じることがあります。
「みんなまだ働いているのに」
「利用者さんがいるのに」
そんな雰囲気があると、
定時で帰ることに
罪悪感を持ってしまう人もいます。
でも私は、
定時で帰ることと、
利用者さんに優しいことは、
別の話だと思っています。
時間になったから帰る。
それだけで、
「冷たい人」
「協力しない人」
と思われてしまうのであれば、
少し違うのではないでしょうか。
もちろん、
急な対応が必要な日もあります。
仲間を助けるために、
少し残ることもあると思います。
でも、
それが毎日の前提になってしまうと、
残る人ほど優しく、
帰る人ほど冷たい。
そんな空気が
できてしまうことがあります。
本当に大切なのは、
誰かが我慢して残ることではなく、
できるだけ定時で終われるように、
仕事の流れや役割を見直すこと
ではないでしょうか。
介護職の優しさは、
残業した時間の長さで
決まるものではありません。
残らなければ回らない現場を、
誰かの善意で埋め続けていないか。
そこに気づくことも、
働きやすい介護現場をつくる
第一歩なのではないでしょうか。
時間だけではない「善意の持ち出し」
介護職が差し出しているのは、
時間だけではないことがあります。
必要な物品を
施設にお願いしても、
申請に時間がかかったり、
なかなか話が進まなかったりする。
すると、
「もう自分で買った方が早い」
と思って、
自費で用意してしまう人もいます。
もちろん、
そこにも
「利用者さんのために」
「現場が困らないように」
という気持ちがあります。
でも、
ここでも一度
立ち止まって考えたいと思います。
本来、
仕事に必要なものまで、
職員個人のお金で
補うことが当たり前になっていないか。
そして、
誰かが自費で補ってくれることで、
現場の不足や不便さが
見えにくくなっていないか。
必要なものが足りない。
申請しにくい。
手続きに時間がかかる。
本当は、
そこに改善すべきことが
あるのかもしれません。
それを、
職員一人ひとりの善意で
埋め続けてしまったら、
問題そのものが
見えなくなってしまいます。
時間も、お金も、気持ちも、
いつまでも個人の善意に
頼り続けてよいのでしょうか。
優しい人ほど
負担を引き受ける現場ではなく、
その優しさがなくても
きちんと回る仕組みを考えることも、
大切なのではないでしょうか。
現場が回っているからこそ、見えなくなるもの
介護の現場では、
予定通りに仕事が終わり、
記録も残っている。
必要な物品もそろっている。
シフトも何とか回っている。
そうなると、
「特に問題はない」
ように見えることがあります。
でも、
その裏側で、
誰かが少し早く来ていないか。
休憩時間に仕事をしていないか。
定時を過ぎても
残っていないか。
必要な物品を、
自分のお金で補っていないか。
そんな小さな負担が、
現場を支えていることもあります。
だから私は、
仕事が回っていることと、
仕組みがうまくできていることは、
同じではない
と思っています。
現場が何とか回っていると、
その裏にある負担は
見えにくくなります。
特に、
責任感の強い人ほど、
「これくらいなら」
と自分で抱えてしまうことがあります。
そして、
その人が頑張ってくれることで、
周りも問題に
気づきにくくなってしまう。
管理する側から見ると、
仕事が終わっていることは
安心材料になります。
でも、
その結果だけではなく、
どうやって、その仕事が
終わっているのか
を見ることも、
大切なのではないでしょうか。
現場が回っているときほど、
誰かの善意や我慢が
前提になっていないか。
そこに目を向けることが、
長く働ける職場をつくるために
必要なのではないかと思います。
善意がなくても回る現場をつくる
介護の現場には、
誰かの優しさや責任感に
助けられている場面が
たくさんあります。
その気持ちは、
とても大切なものだと思います。
でも、
その善意がなければ
回らない現場でいいのだろうか。
私は、
そこを考えることも
大切だと思っています。
申し送りに必要な時間は
勤務の中で確保する。
記録を書く時間も、
業務の一部として考える。
必要な物品は、
職員個人の負担にせず、
施設として
用意できる仕組みにする。
そして、
定時で帰ることに
罪悪感を持たなくてもいい。
そんな環境をつくることが、
結果として、
職員の余裕にも
つながっていくのではないでしょうか。
人は、
余裕がなくなると、
どうしても
周りに目を向けることが
難しくなります。
反対に、
きちんと休めて、
自分の時間も守られていると、
利用者さんにも
仲間にも、
少し余裕を持って
向き合えることがあります。
だから、
職員の負担を減らすことは、
介護の質を下げることではなく、
良い介護を続けるための
土台をつくること
なのだと思います。
優しい職員に
頑張ってもらうのではなく、
誰かが無理をしなくても
きちんと回る現場をつくる。
それが、
これからの介護現場に
必要な視点なのではないでしょうか。
優しさを、長く続けられる働き方へ
介護の仕事には、
人を思いやる気持ちが
欠かせないと思います。
利用者さんのために、
少しでも良いことを
してあげたい。
一緒に働く仲間が
大変そうなら、
助けたい。
その気持ちは、
これからも大切にしたいと
思っています。
でも、
優しさと自己犠牲は、
同じではありません。
自分の時間を削り続けること。
休憩を取らずに働くこと。
自分のお金まで使って、
現場を支えること。
それが当たり前になってしまうと、
どこかで無理が
積み重なっていきます。
だからこそ、
自分を大切にすることも、
良い介護を続けるためには
必要なのだと思います。
職員一人ひとりの善意を
否定するのではなく、
その善意がなくても
きちんと回る仕組みをつくる。
誰かが我慢しなくても、
誰かが無理をしなくても、
利用者さんに
丁寧に向き合える。
そんな現場であれば、
優しさは、
無理をして絞り出すものではなく、
自然に続いていくものに
なるのではないでしょうか。
私は、
介護職が自分を大切にできることも、
利用者さんを大切にすることに
つながっていく
と思っています。
誰かのために働くことと、
自分を犠牲にすることは違う。
そのことを忘れずに、
優しさを
長く続けられる働き方を、
これからも考えていきたいと思います。


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